昨年もこのコラムで取り上げましたが、2001年夏現在、この道路は半分完成しています。島の北側から西回りに南側までの半分です。まだ一部分工事中のところもありますが、完成部分については、もうすでに島の人たちに普通に使われています。このあと、島の東側半分の工事に入ります。そして、ぐるりと島の集落を囲む形の本当の一周道路が完成します。
まず最初に明らかにしておきますが、私個人としては、この道路が造られることには反対ではありません。もっとも、決して無条件に賛成というわけではないのですが、この道路の建築趣旨と今後の活用のされ方を考えれば、賛成せざるを得ません。
この一周道路は初期の目的をきちんと果たせる道路になってくれるのでしょうか。
さて、この道路。どうも観光客の反応は一様にあまり良くないようです。この道路ができた後に初めて島を訪れた観光客にはそんなものなのかという感じでしょうが、昔の島を知っている人には評判は良くありません。それは、1にも2にもあの見た目です。
あの道路は目立ち過ぎるのです。竹富島に来て、まず港からバスに乗るなどして、集落に着くちょっと手前にあるあの道路は他の道路と異なり、とても立派な舗装道路です。だからこそ目立つのです。
島を久々に訪れた観光客が、「ああ、こうして島の自然が開発されていくんだなあ」という感想を持つことは容易に推測できます。それは観光客の立場に立てば当然の感想ですし、いくら島に必要な道路なのだからと言っても、感想は感想であって、それをぬぐい去ることは決してできません。
ここで、この道路の必要性を説く人には分かって欲しいのですが、そうゆう感想を抱く観光客は島のことを真剣に考えている人たちなのです。考えているからこそ、そのような思いを抱くのです。だから決して、島のことは島の人間だけで決めるんだから観光客には何も言う権利はないんだ、などということは言わないで欲しいと思います。
島の明日を決めるのには島の人間だけで足りるかもしれませんが、島の未来を決めるのは観光客も含めた島のことを真剣に考えている人たちなのですから。
新しい道路と古い道(集落から北岬へ行く道)が交わる箇所。
古い道がまるでけものみちのように見えてしまう。
それでは道路を見ていきましょう。まず何故あの道路が必要なのか。その趣旨は前回も言及しました。繰り返しますと、集落の内部にできるだけ車を走らせないようにするためです。島は道が狭く車が走り回るとお年寄りなどに危険だし、白砂の道が穴だらけになってしまうのを防ぐためです。
そのため、車はなるべく外周道路を使い、集落の中は歩くか自転車で回るようにしようというのがその趣旨です。確かに理に適っています。この趣旨自体に反対する人はあまりいないと思います。
それは分かるんだけど、あの見た目がね、あれが哀しいんだよねっていう人。無理もありません。その気持はよく理解できます。それでは、なぜあんなに哀しくも目立つ道路になったのでしょうか。
竹富島にはもう1つ一周道路という名前の道路があります。これは集落から遠く離れた海岸の近くに沿って走っています。今この道路はほとんど使われていません。酷い状態です。この道路ももちろん上記の趣旨の元に作られたものです。しかし結局使われなくなったのは、この道路が不便だったからです。
何故不便だったのか。それは、次の理由によります。
旧一周道路。
右側の写真はなんだかおわかりだろうか。旧一周道路の歩道部分だ。いったいどこを歩けと言うのか。
旧一周道路は朽ちていく運命だろう。
だいたい以上のような理由で、以前の一周道路は使われなくなりました。だからこそ、今度はそれらの不都合のない道路を造ろうということになりました。そして出来たのが新しい一周道路です。
何故目立つかはもうおわかりですね。
作ろうとしたからです。
そのため、観光客にはちょっと目障りですが、しかし過去の失敗を繰り返さないためにあんな形になったわけです。もちろん今度の道路は住民が主体となって、行政に働きかけて作られたわけです。住民の住民のための住民による道路だったわけです。
それならば、観光客の私たちは多少目障りであろうとも、住民のため、島のため、ひいては私たち観光客のためになる道路であれば、文句をつけるべきではないのではないかと思います。
しかし、この道路だって住民の総意というわけではありません。もちろん住民の100%が賛成するなんてことは、人間がロボットにでもならない限りあり得ないことだと思いますが、実際、この道路は建設途中で工事が一事中断しました。
それに、まだ完成していません。だから私は無条件に賛成はしません。道路が造られた趣旨が達成できるかどうかはこれからの活用如何なのですから。
もしも万が一、道路が完成したにもかかわらず、この新しい道路が昔の一周道路のようになってしまったら、そのときは責任者の人たちを糾弾すべきです。
しかし、そのようなことにならないように、島が将来にわたって美しく平和な島であるために、きちんと道路が使われるようになることを祈っています。
(2001.10.14 記)